第17回集会


 学びをつくる会の第17回集会が6月27日(土)、池袋で開かれました。若い教師、学生を含め、80名ほどの参加がありました。午前中の全体会では、一橋大学の久冨善之さんから講演がありました。これに先立ち世話人を代表して岩辺泰吏さんからあいさつがありました。以下要旨です。

開会のあいさつ 岩辺泰吏

 学びをつくる会は最初、総合学習をめぐる論争の中でスタートし、「緊張の三年間」をすごしました。そして、学力とは何かをめぐって、基礎学力論、習熟論をめぐって「建設の三年間」をすごしました。その後「疲労と惰性の三年間」をすごして、今どうすべきかを考えています。私たちの会の参加者は半数が若い人という他の団体とはちがう特徴があります。

 前回の学習会で平塚真樹さんが、イギリスを中心にヨーロッパでの体験をふまえ、今日教育政策に求められているものは何かを提起しました。イギリスではじまっている底辺層をもちあげていくパーソナル教育を批判的にとりあげました。これに対して、オーストラリアで研究してきた児美川さんが、このとりくみを積極的に評価し、ちょっと論争になりました。こういうことはとても面白いことだと思います。批判や告発だけではすまないということも感じました。

 先日、NHKが「クローズアップ現代」で面白い問題をとりあげていました。これを見ていた職場の人はだれもいません。この時間に家に戻っている人はいないということです。クローズアップ現代は「10歳の壁」という問題をとりあげていました。私たち古い教師は教職課程で、児童心理学の勉強をした時に「9歳の壁」という言葉がありました。これは聾唖者の教育、障害児教育の中からうまれた発達論として、抽象的・社会的な思考、精神的な発達が9歳の時に大きな峠を迎える。これをうまく援助して友だちとのかかわりや学びあいなどで越えさせていく。今回は「10歳の壁」ということです。4年生になって、ひとつの胸突き八丁にさしかかるという問題でした。現在、1~3年生の学習は算数ではたす、ひく、かけるなどで、筆算は4年生になってからです。それまでの学習は暗算で充分こなしうるものでした。なぜ、その計算をするかということは問わないで、ひたすらより速く、より多く、より正確にやることだけが問われていました。ところが4年生になると、それらを総合して、どのように解いていくかを考える、抽象的な言葉もどっとでてきます。そうすると子どもたちは、自分は取り残されたと感じる子どもが全国的にあらわれているということで「10歳の壁」というわけです。ここでとりあげられていたのは「百マス計算」でした。百マス計算をストップウォッチで時間を計りながらやる授業でしたが、機械的に「速くやる方法」をみつけるだけということで批判的にとりあげられていました。それ対して、4年生の割り算の授業で、4桁の割り算を子どもたちが考えながらやる授業風景が出て来ました。黒板に筆算で計算する子に対して、「今までは下から計算していたのに、なぜ上から計算するのですか」という疑問がだされ、実際にチョコレートの箱を使いながら、子どもたちが試行錯誤を続けていく授業風景でした。その中で大きなものから配っていく方が合理的だということがわかり、大きな数から割っていくことが妥当だということが共有されていく授業でした。ある問題が提起された時、そこにある物語を生み出し、共有しようとしていくものです。

 私たちの学びをつくる会のスローガンは、「豊かな問を育てる総合学習の創造」です。これは「10歳の壁」を越えるとても大事なテーマだと思っています。学び甲斐のある、てごたえのある学びは何かを考えなければならないと思います。この世界はどうなっているのか、どう繋がっているのか、この世界を魅力にみちたものとして発見していくというような手応えが必要になってきます。

 


講演:「日本の教師 その歴史的・国際的特徴
~「教える」仕事の難しさと

教職アイデンティティをめぐって~」
久冨善之さん

 

 私は小中高の教師をやったことがありません。大学を卒業後ずっと大学にいて、そして退職しました。学生時代、教職をとったが、教師の皆さん方を前に、日本の教師はこうじゃないかというのは僭越ですが、自分が考えたことを言おうと思います。

 

1.人物史の中の「学校教師」

 人物史の中にも多くの教師がいます。ソクラテスは有名な教師でした。中世のヨーロッパ・パリ大学にもアゼラールという教師がいて、ヨーロッパ中から聴きにきていました。幕末にも緒方洪庵、広瀬作蔵など私塾の先生がいました。しかし、ここで問題にするのは近代学校の教師です。19世紀になってから、日本の学制が敷かれる明治5年、そして小学校令が確立する明治33年以降のもので、小学校、中学校、障害児学校の教師を対象にしています。

  教師という職業の第一の特徴は、その数が多いということです。子どもの人数が多いので多く感じませんが、社会全体ではかなり多いのです。1900年ごろには10万人、敗戦の1945年には50万人、1991年のピーク時には106万7千人、今は少子化で100万人を割り込んでいます。98万人前後です。働いている人の中で50人に一人は教師です。免許が必要な職業の中で多いのは教師と看護士です。どこの国でもこのふたつの職業が多いのです。教師の仕事がむずかしくても高い給料を払えない、第一級の知識人として高い処遇を与えられないというのが教師のもっている矛盾です。

 

2.教師の「教える」という仕事はもともと難しい

 藩校も寺子屋も、江戸時代、大都会ではある程度行っていましたが、近代以前は庶民は学校に行っていません。文字の読み書きができない状態にいたのです。6千年前メソポタミアで発明された文字の読み書き能力を持っている層と持っていない層にわけられてしまっていました。近代学校はそれをのりこえようとしました。人類が蓄積してきた文化にアクセスできる力をつけようとしたのです。教師はこういう子どもをひきうけました。

  第二に言えることは、教師の仕事は意外にむずかしいということです。教材、順番などを考えていても全然ダメな時があります。教えるということは学んでいる人の中で生きることで意味があるのです。自己満足ではだめです。準備は大事ですが、相手の反応によって変わってきます。即興で変えなければならないこともあります。こう答えた、もうちょっと考えてもらいたいなどとその場の反応が大事になります。

 その後は近代学校特有のものです。ひとつは勉強が好きとは限らない子どももいます。だいたいの子どもは勉強が好きではありません。幕末の私塾のように集まってくるものではありません。無理矢理集めてくるのです。学習をわかってもらうために集中してもらわなければなりません。つぎには、子どもの人数が結構多いということです。「考え方より答えを教えて」という子がいます。静かにしてもらうためには集団の規律も必要です。そして、こういうことをするために教師は自分がやっていることに意味があるんだということを確認しなければなりません。ところが、ちょっといいことをやっているという成果がはっきりしないのです。客観的にははかれないのです。ペーパーテストで測れるのは一部です。陰山プリントで百マス計算を毎日やっていればよくなります。5年生ぐらいになって決定的弱点としてでてくるかもしれません。教師の仕事は難しいのです。

 教師がかかえるアポリア難問があります。ひとつは地位課題です。日本の教師は相対的に高いです。イギリスは低いです。能力課題もあります。力があると思いたいのです。思えないとやっていられません。教師どおしではわかっているともいわれています。そして関係課題があります。子どもとの関係、親との関係、教師どおしの関係づくりが課題です。

 

3.「難しさ・課題」の乗り切りを支えて来た工夫・仕組み

 教師には特有の文化があります。1920年代に殉職教師の顕彰運動がおこります。教育美談がつくられ、広められていきます。大正11年の小野さつき訓導の例がそうです。写生大会で川に落ちた児童を助けようとして殉職してしまうのです。今なら、なぜそんな危ない所につれていったのか、ということになりそうですが、この小野訓導は顕彰され、文部大臣も顕彰するのです。仕事中に教師が死ぬということは明治のころからありました。これを掘り起こし、顕彰碑を建てたのです。子どもたちのために全身全霊を捧げる教師像がつくられました。そして子ども、父母におしつけられたのです。教師たちもこれを受け入れました。子ども・父母・地域社会も最初から信頼してくれているという点では関係づくりはやりやすいのです。教職倫理の中核に貢献的教師像が内面化されていきました。15年くらい前に埼玉県の退職教師にインタビューをしました。読んでいる本や映画で心に残っているものはどんなものですか、と聞くと圧倒的に「二十四の瞳」と答えていました。大石先生は貧しい岬の半農半漁の人たちの子どもの幸せを考えている余裕のない親の中で貢献的な教師像がそれでした。70年代まで父母の期待する教師のタイプは授業や生活指導ではなく、子どもの気持ちがわかる熱心で子ども思いということでした。それが70年代後半にくずれます。これらと対極にあるサラリーマンタイプの教師が出現します。90年代前半に千葉県でやった教職観についてのアンケートでは、経済的にめぐまれているというのは圧倒的に低いのですが、肯定観がある項目が4つありました。「気苦労が多い」「喜びがある」「やりがいがある」「自己犠牲を強いられる」の4項目です。

 教員文化を考えると、いろいろありますが「せんせい」と呼ばれるということです。子どもや親からは「せんせい」と呼ばれ、教師どおしも「せんせい」ということが多いです。教育実習に来た学生にもそういうことがあります。たまに「私のことは“せんせい”でなく“○○さん”と呼びなさい」という方がいますが、識見があると思います。「せんせい」とよぶことで、他の人とは違うという感覚があるのです。また、日本の教師は昔から研究熱心です。官制、半官制、民間を問わず、熱心です。これが向上心を保っています。しかし、常に高い職業倫理を保っているということはありえません。教師どおしでは「ずさんなところ」もあり、そういうところもないとやっていけないのです。

 

4.「教師としての誇り」の意味と働き

 教員文化の中核としてあるのは、教師としての誇りです。成果を出せる自分の力を示さなければなりません。成果をだすのが難しいのに、ある程度、教師としてやっていけるという高い誇りをもっています。今日一時間ちょっとの時間をいただいて話しをしていますが、第15回の佐藤博先生の話をうかがいました。感動的な話しでした。私は自分の考えたことを言うしかないのですが、「なんてつまらないんだ」と思ってレジュメはつくれません。みんなにちょっとは何かをうけとってもらえないか、と思います。4050分の授業をくふうする教師もそうです。つまらないと思ったらやっていられません。そんなにはやれないけれど、ちょっとはやれるぞと思います。しかし、不信に囲まれると傷つきやすいのです。自分の筋書き通り言うのはおしつけがましい、みなさんが教室でやっていることもそうではないですか。子どもに「何の意味もない」といわれたら、何でこいつらにこんなことを言われなければならないのか、と思うのです。肯定から否定へ崩れるとburn-outになります。

 国際的に調査をやっていますが、教師にやりがいを感じる、自分はこの職業にあっている、と考える教師は日本も外国も多いのです。こういうのはだんだん減ってくるのではと思いますが、減らないのです。教師は自分としてはやれている、誇りを持っています。

 

5.近年の「教師受難時代」の性格

 近年、家族の変化、子どもの変化が言われています。教師の力量の低下もいわれています。これは確かですが、家族や子どもの変化にみあうように学校と教師が変化していないということの問題です。学校と教師も変化しないといけないのです。久富仮説をいいます。何万、何十万、何百万という教師が長い間、くふうしてきた蓄積があります。学校に行ったら教師の言うことを聞くのが当たり前、教師は子ども・親・地域に支えられてきたといいますが、この「支え」の力が弱くなってきたのではないでしょうか。70年代のなかばごろからだと思います。前期戦後と後期戦後にわけられる時です。不登校・おちこぼれ・非行の波・荒れる中学・いじめ自殺と続きます。波はありましたが、これらの問題はあまり解決されずに30年がすぎました。学校で傷ついて、教師が本当の意味で助けてくれなかった、これが相当蓄積されています。それに輪をかけて、事件がおこるたびにおこる洪水のような報道です。映像ででてくる教師は「すばらしい」と思える対応をとってくれていません。マスコミを通じて、巨大な教師不信・学校不信が広がっています。支えが弱まり、理想と現実が違うということになりました。この教師に一年間担任されてウチの子は大丈夫なのか、ということです。子どもとの関係をつくるのも難しくなりました。

 教師は多忙だということがよく言われます。文部科学省の調査でも教師の勤務時間は1日1011時間労働、休息・休憩もとれず4%の調整手当では不十分、自宅持ち帰り仕事が多い、となっています。教師は毎日忙しい、というのは国際的にみても同様です。どの国の教師も忙しい、と言っています。しかし日本の教師は忙しいの中味として「問題生徒に手を焼く」「教える内容への動揺」「無力感」「信念の混乱」などをあげています。スウェーデンの教師は忙しいの中味としては「教材研究が楽しい」「教育に自信がある」「やりがいを感じる」としています。

 80年代後半に「文化としての多忙」ということをいいました。「過度の多忙」と表現しました。忙しい=熱心さが勲章となっていました。しかし、今休職者が増えています。休職者のうち、精神疾患の%は89年の30%以下から、近年は60%を越えています。そして新採一年目が苦しいとも言います。2003年から2007年までの5年間で10万人の教師が採用されていますが、そのうち、千人ちょっとが辞めています。不採用というのも少しありますが、採用された教師のうち一年以内に辞めた人のわりあいは97年には0.26%だつたものが07年には1.38%にレベルがひとけた上がっています。指導が不適切と認定された教師はこの8年間で2877人いますが、現場復帰は679人だけです。4分の1しか復帰していないのです。この制度の非情さを感じます。一方で教師の誇りです。研修して他の人からあれこれ言われるのに耐えられないのです。

 

6.国際比較調査にみる日本的特質

  職業があっている、教師に自信がある、というのはどの国も高い割合になっています。自信がある、というのが少し欧米の方が高いです。社会的に尊敬される仕事というのは日本や韓国、東アジアの方が高いです。経済的に恵まれているというのは日本が低いです。その他は全部肯定的な評価が多いです。burn-outでみるとあまり変わりません。身体に関する消耗、気分的な消耗、精神的な消耗とそれぞれ7項目ずつの調査をしています。私はきのうの晩やりました。2.75です。これは「良好」になりますが、とても消耗しています。できてない時でも2.9ぐらいです。ところが日本の教師の点は3です。バーンアウトへの危険信号です。日本はかなり高いところでやっています。教師集団相互の支え合いのよさでカバーし、自分自身で解決しようとしています。

 

7.「教育改革」の時代における教師の「希望」

 東京都の改革のOJTを読みました。一言で言うと「愚劣」です。「学校・教師への国民的不信」を追い風にして「改革」をすすめようとしています。総じて「教師」という仕事の性格についての無理解が目立ちます。その結果、軍隊組織です。層があって、段階をつけられて基礎形成期、伸張期と充実期があり、そしてそれぞれの時期に上の時期の人間が下の時期の人間にこういうふうに指導しろ、というのです。○○をさせる、というのが多いです。役割をもたせる。課題をもたせる。確認させよう、提案させよう、というのが多くあります。こういうのに対抗しようとして、こういうのがおかしいと言ってももともと学校や教師への不信を追い風にしているので、なかなか力になりません。かつては国家が教師を守ってくれました。しかし、今は国家が学校不信、教師不信をバックに教師を攻撃するという構図になっています。民主主義的基盤を広げなければなりません。学校に参加する当事者たちが参加、協力して、子ども・若者を父母・住民・行政を含めて改めて信頼づくりをやっていくことでしかなかなか対抗できなくなっています。

 教師たちがつくっていく実践の中味を本当に子ども・父母に本当にそうだということを感じてもらう中で、信頼を培い、前とは違った姿で構築していく必要があります。

 

 

 

 

 


分科会


第1分科会 学力・授業 
 

.『道徳』の授業を変えよう~アニマシオンで参加型授業~  緒方敬司(東京・公立小)
  「道徳」授業というと何か読み物資料があって、教師が意図した徳目を学ばせようとする授業がイメージされます。そうした道徳授業を変えたいと、子どもたちの実態に即してワクワクドキドキする授業を目指して、実際の研究授業のように参加型の授業(『天使のいる教室』[(宮川ひろ著]を題材に)が展開されました。
  授業の最後に「生きていて良かったことは…?」と子どもたちが学びあう場面をどう創っていくかが討論の中心になりました。
  道徳授業のあり方をめぐって、貴重な問題提起をふくんだ報告でした。



.若い仲間と共に歩む楽しい授業づくり~1年生と中学年の授業から~  渡辺恵津子(埼玉・公立小)
  大変な日々(1年生)のスタートをさせながら、子どもをどう見るか授業をどう創るかを学年の若い仲間と共有していった報告。
  子どもたちの言葉の力を育てるために"学びの広場"を大切にし、そのための"しかけ"(教材・教具)づくりが紹介されました。
  そうした取り組みの中で、子どもが表現し繋がる力が育ち、物(教具)を持ち込むことで実感をともなって学び新たな問いを紡ぎ出す子どもの姿が語られました。

  「…"白々しいもの""答えが分かっているもの"に感動はないんだと思いました。ただ一つの解に向かうのでなく、一人一人がもっている解がぶつかり合うこと/解を出す/作る過程を共有する(まさに学びをつくる!ですね)ことの大切さ、楽しさを実感しました。」[参加者の感想より]  <文責・田所 恭介>

 

 

 


第2分科会 こども理解 
~教師の挫折と再生~
 

 

 「子ども理解」の分科会は2本のレポートを受けた。墨田区の小学校から佐藤健一さんが「困難を抱える子どもたち」の姿の話した。1年生30人の子どもたちがさまざまに抱える問題は30通りあるといえる。感情を制することができないで奇声を上げたり隣の子に暴力をふるってしまう子、ADHDと診断されている多動性の子・・。そうした場合でも学級定員や介助に何の配慮も支援もなく、孤軍奮闘して疲れきってしまう担任の報告が多くなっている。佐藤さんは細やかに保護者と連絡をとりあうとともに、学級通信『○年○組ものがたり』で学級の様子をみんなで分かち合うように伝えている。自分の気持ちを「せんせい あのね」と書いてくる子たちの声をすくいあげてその思いを共有していく。2年生に持ち上がったその「困らされた」子どもたちが中心になって56歳の誕生日を祝ってくれたことも報告され、教師の喜びが伝わってきた報告だった。参加者から「子どもの安心をつくることが、親の安心をつくることになる」と、教師の「人間的な魅力」が出された。

 

 2本目は静岡の中学校から笠井英彦さんが「ティーンズメール」と題して、悩みを共有していった取り組みを、参加者のワークショップとして追体験させながら報告した。重松清『みんなの悩み』(理論社「よりみちパンセ」シリーズ)をもとに、悩みと回答の例文をまず紹介した。それから、悩みを実際に書いて、アトランダムに選んだ文に回答した。「悩み」欄にいったん何かを書こうしてくしゃくしゃと消してあるだけの用紙にも、中学生はそこに書けない悩みの姿を読んで、励ましのメッセージを書いている。中学生世代に近い学生から「悩みに親身にこたえてもらえるとうれしくなる」と感想も出され、この実践が友情を確かめ、共感と信頼をはぐくむものとなることが共有された。(ここで事例を紹介できないのが残念だ)

 

 コメンテーターの宮城哲さんからは、中高校生世代の相互の関係性を築くことが難しくなっており、「友だち」という存在が「重くなって」いると指摘された。また、佐藤さんの報告で、評論家的な位置に立っていた保護者が次第に共感を深めていくプロセスがよく伝わって、子どもをきっかけとして親と教師がどうつながっていけるかが大事なテーマとなっていると触れられた。

 

 学生から「先生になることの不安が高かったけれど、喜びもわかってやはりなりたいという気持ちを確かめられた」という感想も出た。今は、まずそういう「明るい見通しが持てる」機会を重ねられることも大事なのではないかとあらためて思った。

 

              (文責・岩辺 泰吏)