第16回集会


「学びをつくる会」の第16回集会が1月24日、豊島区の生活産業プラザでおこなわれました。全体会は会場いっぱいの80名を越す多くの方が参加しました。特に学生を中心にした若い方の参加が目立ちました。

開会のあいさつ 岩辺泰吏

 

  はじめに世話人を代表して岩辺泰吏さんから開会あいさつがありました。その要旨です。・・・・今年の初め、大きな変化がありました。年越派遣村がおこなわれ、大きく報道されました。無視されてきたことが世論の共感をよんだのです。大企業の首切りに批判が集まっています。ドイツでは首切りを撤回する動きがありました。変化をどうとらえるかですが、オバマ大統領に対する期待の大きさがあります。ひるがえって日本の国会は情けない状態です。

 若い人が群像としてあらわれています。私も参加している葛飾作文サークルという小さなサークルでも1~3年目の若い人が時には半数を越え、レポーターもひきうけたりしています。読書のアニマシオンでも若いお母さんが学校を開こうとしています。

 雑誌「教育」の2月号を読むと、若い人が現状を適切に批判しています。吉澤良紀さんは学びを個人的なことではなく、集団としてとらえています。石井広昭さんは、子どもの脳を通して考える、としています。京都の小寺さんは、これまでの学力テストの批判の仕方の問題を指摘しています。これによって何を試そうとしていたのか、授業でやったことは役に立つのか、という問いに去年より小学六年生は68.3%から62/5%に下がり、中学三年生は36%から30%に下がっています。たった一年でこの減少は学力テストによって授業そのものが問題になっているといえます。

 また、沖縄は低いといわれていますが、沖縄教育の構築を提起しています。沖縄は経済が悪くて、より良く生きようという希望がない、しかし、歴史・もの・人の豊かさがあります。文化創造を共同でおこなうということです。秋田は学力つけても職がない、という状態です。

 37年の教師生活はストレスと緊張の中にありました。自分の身体にご苦労様、ありがとう、と言っています。しかし、現場の時にはあった怒りの言葉がうせていく気がします。多くの人の批判を共通の広場として考えを正していきます。今日の集会最後までよろしくお願いします。

 

 



講演:「子どもと生きる、教師を生きる
~学ぶおもしろさと、生きる楽しさを求めて~」
佐藤博(東京・中学校)

 

 中学校の今、についてお話します。身近に鬱病による休職や自殺など教職員の重い事態が広がっています。今も「たいへん」な毎日です。日本中の労働者もそうだと思います。

 学校は次々起こる「事件」に追われています。救急車もパトカーもやってきます。私は教育再生会議の意見の中で「携帯は子どもに持たせない」という意見だけは一致します。携帯でケンカするのです。校長室で暴れます。朝から漫画喫茶に行っている子もいます。指導すると「先生は自分のセーセキを上げたいんでしょ」という声が子どもからでてきます。親のアンケートからは「いまの学校はよい子にはつらい場所になっている」という声がでました。礼儀を知らない、態度は大きい、仕事をしない。私の口ぐせは「そんなに威張るなよ」となってしまいました。忘れものは多く、床にゴミ、おしゃべりは止まらないという状態です。「いいかげんにしろ」というのも口癖になってしまいました。

 そんな子どもたちの現状の中で「学ぶ」ということに光をあてたいと思います。子どもの課題を授業のテーマにしたいのです。江戸時代の渡辺崋山の寺子屋の図があります。子どもたちは机のまわりで遊んでいます。先生はにこにこしています。江戸時代から子どもたちはまじめに勉強などしてなかったのです。でも世界地理でアフリカの真剣に勉強している子どもの写真を見せると驚きます。ヨーロッパの植民者たちはアフリカの子どもに勉強させませんでした。だから自分たちでこっそりジャングルの奥で勉強したのです。学ぶ目的が違うのです。今、日本の子どもたちはとてもわがままで、幼児性がぬけきれていない子がたくさんいます。自分の中に自分しかいないのです。そんな子どもたちに必要な学びとは、「自分の中に多くの他者を入れること」だと思います。いろいろな思いや暮らしをしている人間がいる、ということを。アフリカは今も子どもが飢餓に直面しています。日本では給食をまずいと言って残す子がたくさんいます。授業では「どうして飢餓がおこるのか」を問います。子どもたちは「暑いから…」「科学が遅れているから…」などと答えます。チョコレートをとりあげます。『カカオ畑で働き続けて』という本を読みました。8歳の子どもが働いています。一日10時間働いて、50円しか受け取れません。オバマ大統領が熱狂的に迎えられていますが、お父さんはケニア出身です。奴隷の授業も組みました。内戦が多いアフリカですが、国境線が直線になっているのを見ればわかるように植民地支配によるものです。奴隷船の図もみせます。ぎっしりつめこんだ船でアフリカから大西洋をわたってアメリカまで運びます。奴隷船は何キロ離れていてもわかるそうです。どうしてだと思いますか。汚物の臭いです。中で2割は死ぬそうです。それでもぎっしり詰め込んだ方がもうかるというのです。黒柳徹子さんがユニセフ大使としてアフリカを訪れた時に子どもたちと笑顔で走っている写真があります。とてもすてきな写真です。黒柳さんが「日本の子どもは(  )をするが、アフリカの子どもでは聞いたことがない」と書いてあるけれど何だと思うか、を授業で問いました。「万引き」とか「いじめ」などという答えもありましたが、それは「自殺」です。アフリカの子どもたちにとってはつらいこと、苦しいことが日常で当たり前で、同時に自分の存在が家族の役に立ち、感謝されることが多いことも関係があるかもしれません。

 「スカート短けーとどうしていけないんだよ」という女の子がいました。イスラム教の授業で実際にイスラムの国で買ってきたチャドルを子どもに着せて授業をしました。イスラム教では、人間は弱いものだという前提にたっています。なるべく悪いことがおこらないようにしているのです。「女の子のはだをみせたらどうなるか」と男子に問い、「学校も同じだ」というと妙に納得していました。

  いじめの問題でもそうです。ベトナム戦争を授業でとりあげました。子どもたちは相手がアメリカだとわかると「勝てるわけがない」と言います。でもベトナムは勝ちました。弱いものだって勝つことがある。「きっと世界中が応援したんだ」と気が付きます。強いか弱いかではなく、正しいか正しくないか、という基準で動く時代が始まっているのです。ベトナムでは、アメリカと戦争する前にフランスと独立戦争をしています。ディエンビエンフーの闘いでフランスに勝利したのです。その自信がベトナムを強くしたことに気づく子もいました。いじめで苦しむ子にも、みんなの応援と自信が必要だねと話しあいました。

 

  子どもは教室でもすぐエアコンをつけたがり、消し忘れます。満杯の石油を運ぶタンカーを見せます。東京ドーム一杯分の石油は日本では何時間でなくなってしまうかクイズにします。たった二時間です。石油は生物の死骸の油分からできます。たまるのに10億年もかかるのです。それを百数十年で使い切っていいのかと問いかけます。世界で何が問題なのか、何が大切なのかを考えさせたいのです。

 そうはいっても授業は楽しい方がよいのです。天皇の授業をしました。導入は「天皇の名字クイズ」です。知らないのです。日本明仁、平成明仁、大和明仁…本当は名字はないのですが。「憲法第一章の天皇条項を削除します」という太田総理の番組にならって討論をおこないます。「いてもいい」という意見は少ないです。「だって人権ないじゃん」「平等ではない」などの声もでます。「サザエさんで教える民法」もやりました。天皇の名前はわかりませんが、サザエさんの家族の名前はみんな知っています。「均分相続」だけではつまらないので、ちょっとひねらならなければなりません。多面的に考えさせたいのです。ワカメちゃんがグレて、お父さんは「ワカメには遺産をやらない」という遺言を残せばどうなるか、を聞きました。こうなると難しいです。ワカメちゃんがその後成長してよい子になるかもしれません。お父さんがボケているのかもしれません。面白くなります。

憲法第26条の「○○に応じて○○しく教育を受ける権利を有する」の○○に入る文字を考えます。前者は「年齢」というのが多く、あとの方は「やさ」しく「たの」しく教育を受ける権利という声があがります。嬉しくなりました。「能力」と「等しく」が正解ですが、今、教育の世界では「平等」より「能力」に傾いています。でも、いろいろな子がいる方が面白いし楽しいと子どもたちは言います。両方実現できないか考えさせました。

 自分に自信をもっていない子が増えています。どうせ俺なんか…、と思っています。進化の勉強をしました。サルが人間になったということはわかっていますが、サルの前はなんだったかわかりますか?ネズミです。気候変動などにより、地上でくらせなくなったネズミが土の中にもぐったものと木に登ったものにわかれます。土にもぐったものがモグラで、木に登ったものがサルです。さらに氷河時代になり木が枯れ始めます。パワーのあるサルは南の温かい地方まで行き、木の上のくらしを続けました。弱いサルは地上におりました。弱さゆえに道具をもって闘ったのです。そこから進歩が生まれたのです。教師も同じで「強い」教師は指導に進歩が少ないのではないでしょうか。「負け組」が次の変化を呼び起こすのです。人間だけが火を使えるのは「おっちょこちょい」がいたからです。好奇心から新しい何かをみつけられるのです。否定的に見えることも、違った角度からみるとすばらしいことはいくらもあるのです。そう教えると嬉しくなる生徒がたくさんいます。

 低学年では、人間ってすごい、教室は楽しい、ということを伝えたいと思います。しかし3年生には「人類の過ち」も見せなくてはなりません。ナチスのユダヤ人迫害をとりあげました。悲惨な歴史です。アウシュビッツに行ったことがあります。ポーランドでは、小学生にはアウシュビッツは見せないそうです。中学生には必ず見せると言います。絶望を伝えてもしかたがありません。フランクルの『夜と霧』を教材にしました。彼はユダヤ人の医者でアウシュビッツを生き残ります。彼は冷静でした。ガス室に送られる前に亡くなるか、生きのびるかは○○があるかないか、だと書いています。子どもたちに問うと「脂肪」「愛(する)人」などという答えや「根性」「気合」「家族」などという声も出ました。どれも正しいかもしれません。「希望」だと気づく子がいます。それでは、希望はどうしたら生まれるのか。それは現代最大のテーマです。正解は探すほかありませんが、例えば、今は世界中で奴隷はいません。植民地もありません。酷い時代が永遠に続いたことはなかったのです。学ぶことが希望を切り開いていくはずです。映画『学校』シリーズで「幸せって何だろう」とみんなで討論するシーンがありました。みんなで考えあった時間が人を育てるのだと思います。だからこそ「教室の思い出」を大切にしたいと思います。

学力論がさかんですが、個人の学力より、そうした「共有の学力」を育てたいのです。

 話しを戻します。現代の子どもを憎まない、嫌わないためにどうしたらいいのでしょう。

かつてワルの子から「みんないい子だったら学校も先生もいらないじゃん」と言われたことがあります。歎異抄の精神を言い当てているのです。「お馬鹿」の成長こそ教師の楽しみです。問題行動の中に子どもの課題があります。子どもが変わっていくドラマをいっしょにつくるほかありません。それを仕事として引き受けたいものです。うまくはいかなくても「人間ぽい」教師でいたいのです。現実も子どももすぐには変わりませんが、いつか変わる「火種」を残すことはできるはずです。非行の嵐の時代にもっとも荒れていた女子生徒が五年後に訪ねてきてくれました。見違えるほど成長し、担任していた頃の私との思い出を話してくれました。思いがけない遠い日に、教師だった自分が「意味のある存在だった」と思える日もあるのです。教師は子どもと自分の成長を重ねて生きる職業です。

教育は子どもをめぐる大人たちの共同の営みです。教育の成果を短期で計ったり、教師を個人で競わせるなど愚かで有害なことだと思います。

 教師という職業の魅力は理想の原型があることです。そこには本質的に「自由と平等」があり、「愛や連帯」があり、未来を拓く力があります。そして教師は「誘う人」です。子どもたちを豊かな学びの世界へ、魅力ある文化へ、生きる楽しさへ誘いたいものです。

 来週の道徳の授業で大切に思うことを漢字一字で表し、その理由を発表させたいと思っています。私は「分」を考えています。いま世界中に68億の人がいます。食糧がたりないと言いますが、公平に分けられれば充分に食べられる量はあるのです。大企業には内部留保金が230兆円あります。公正に分配されれば首切りなど必要ないのです。「分」かち合うこと、「分」かり合うことが、子どもたちに伝える大切なテーマだと思います。

ジャク・プレヴェールの『劣等生』という詩のように、日本の学校の黒板はいま「ふしあわせ」の色をしています。だけど、わたしたちは「いろんな色のチョーク」を手にして、みんなで黒板に「しあわせの顔」を描いていきましょう。 

 

 

 


分科会


第1分科会 学力と学び 
~授業でひらく子どもの世界~
 

 

.かけ算四苦八苦 臨採講師(学習支援員)Sさんの報告

2年生の「かけ算」の学習。学習課題に青丸や青線を書いたり、タイルや絵で表したりしながら、"1あたりの数"を見つけることで「かけ算の意味」を考える授業を展開。

子どもたちと"算数お話づくり"を進めたが、絵と文が合わなかったりしてなかなか"1あたりの数"が見つけられない。かけ算九九合格テストも、他のクラスは全員合格しているのに…「私に経験がないからと不安になり焦ったことも…。

 参加者からは、得意なことで自信をつけるといい。"できるって、分かるってどんなこと?"と投げかけながら、お話づくり[算数]をみんなで共有しながら、日常の子どもの学ぶ姿を子どもたち自身に返してあげることが大切じゃないかと励ましがありました。

.子どもたちと教師も楽しむ詩の授業  ~ことば・声・身体・イメージ  霜村三二(埼玉・公立小)

学級通信『らぶれたあ』から「詩・ことばあそび実践集」をもとに参加者にも詩を楽しんでもらおうと、三二学級での詩の場面を再現しながら、何故、"詩・ことばあそび"の授業が語られていきました。

 基礎を単純に活用のための土台(訓練・ドリル学習)とは位置付けず、"基礎だからこそ豊かな学びを"用意し、「意味ある世界へとつながる学び」、「物語のある学び」を教室に広げたいと詩の授業が展開されていきました。

 コメンテーターの大日方さんは、いくつかの視点から霜村授業を分析し「ことばを媒介に子どもたちと多様な関係を紡ぎ出す授業」だと指摘し、子どもたちにとって"自分のリズムと共有されたリズムが心地よい"。その学びがが生きることの良さや子どもたちをとりまく世界の良さを体感させていることに最大の特徴があるとまとめられました。

                    (文責・田所恭介)

 

 

 


第2分科会 教師 
~教師の挫折と再生~
 

1.静岡の木村百合子さんの裁判を支援する会代表 蓮井さんからの報告

蓮井さんが百合子さんも会員だった教会の牧師として、一保護者として、中立的な立場として今回の事件について語ってくださった。

悩んでいる新任教師の百合子さんに対し「アルバイトじゃないんだぞ」「また問題おこしやがって・・・」と冷たい声をかける教務主任や教頭。「これからうちの子を通学させるか考えさせてほしい」という保護者からの手紙。元来、向上心が強く、色々なことにチャレンジする百合子さんが次第に心に傷を受けていき、心の状態が不安定になっていく様子を実際に百合子さんと接し、話した言葉を交えてお話しされた。

百合子さんの置かれた状況や、学校のサポート体制をはっきりさせ、同じ事を繰り返さないようにしていきたい、支援の輪を広げていきたいと語られた。

2.公立、私立それぞれの教員からの報告

3年前、公立から私立に移った先生から、私立学校の抱える問題点を報告していただいた。私立教員の人間関係の難しさ、授業研究がほとんどされない実態、親が見返りを期待しているプレッシャー、若い教師は3時間あまりの睡眠時間・・・。新任の教師には初めての授業で子どもたちから「この授業は通知表につきますか?」「先生はどこの大学を出ましたか?お母さんが聞いてきてといったので・・・」などの質問が出たそうだ。

立て直しが必要だと感じ、職場の中で色々な人と話をして行く中で打開策を練り、状況は明るくなってきたそうだ。職場に励ます関係があるか否か、が最後の分かれ道であると話した。

公立からは初任者研修の実態や初任教師の抱える悩みについて報告された。とにかくどんなことも報告(レポート)を出さなくてはいけない初任者研修。管理職や先輩からかけられる「自分から動いて行かなきゃならないんだぞ」、「もう甘やかされないよ」、「来年から本採用なんだから」などの言葉に、焦ったり、不安になったり、自分の評価を気にしてしまったり…という率直な悩みを話した。

悩みながらも、同期や友達と会って話したり、学校以外のところで楽しみを見つけたりしながら、自分らしく進んでいく様子が報告された。

 

コメンテーターの岩辺先生は、心の病で給食する教員が10年前の3倍になっていることを挙げ、職場の自浄能力の低下が問題であると指摘した。教師にとってのスーパーカウンセラーの必要性や、何が何でもずっと教師を続けるのではなく、途中である程度長期中断する(長期研修などの制度の活用)必要性を話した。また、公立と私立の交流の必要性や、サークルなど外の世界の人との交流などは教師の努力点ではないかと話した。最後に、教師がつぶれぬよう、魅力が失われぬよう、柔らかい教師が残れるよう願わずにはいられないと語った。                  (文責・坂井ゆりか)

 

 

 

第3分科会 総合的な学び 
~学ぶことと生きることを結ぶ~
 

 午前の講演で満場を魅了した佐藤博さんの司会で、教師の教育権を保障されているだけに責任も重いという自由の森学園からの菅間正道さんと、やむをえない事情で予定の提起に替わった本山明さんとの2本の中学の報告が行われました。参加は20人近い多さでした。

 菅間報告は、中3後半の半年間の総合学習「生きさせろ!現代日本の貧困と生存をめぐって」の実践。討議と課題検討を繰り返して進む過程が多彩で、日経連の主張を読む、フリーターのドキュメント番組を見る、ホームレスのルポを読む、NPO「もやい」訪問、グループでインタビュー(各政党・経団連・厚労省・マスコミ・活動団体の炊き出し現場・生活保護世帯・ホームレス個人)という広がりをもっています。とくに、現在の生のルポや人物に直接触れる対象の質に目を見張らせられました。(『生活教育』08年2月、『クレスコ』08年6月に詳細)

 

 本山報告は、中2での進行中の実践で、ここ半年余の主として派遣をめぐるいくつもの新聞記事を読んでの意見交換。

 話し合いでは、疑問・異論を含めさまざま出て時間切れになりましたが、かなり満ち足りた盛り上がりでした。項目的に並べます。

・情報を集めて考える大事さ

・だれかがやってくれる、国・政策が悪い でとどまる危険

・できること――国・自治体・NPO・自分でという視点

・映像の力、教材にできるものを探す必要

・犯罪に関して わかるということの問題性

・ワークシェアを含めて北欧などの違う形を知って考える必要

・貧への共感でいいのか、基盤になりうるか

・間接情報と事実、編集された情報を扱う問題点

・痛みとしての出会いが解放への力になる

・生徒自身の貧認識を洗い出す必要

・ああなりたくないと思うトピックと出会わせる必要

                                                (文責・本多道彦)

 

 

 

 

第4分科会 子ども理解 
~子どもの思いを受けとめる~

 はじめに教職三年目の東久留米三小の福森真裕さんから「子どもたちとの日々を重ねて」という報告がありました。学生の時に不安がありましたが、今は恵まれていると言われました。良い子たちとまわりの教師からアドバイスの中で実践していることが伝わってきました。学級だよりを週一回だし、親からの信頼を受けています。この他にテーマを決めて書かせた文を「学習だより」として、子どもたちの声を届けています。日記の活動、係活動などを通して、様々な場面で「賞状」をだして励ましています。教室の敬司にも気を配っています。楽しく明るい雰囲気になるように、ととりくんでいます。子どもたちの笑顔に支えられています、報告を結びました。この報告に対して、学級だよりのくふう、若手研修の実態などについての発言もりました。

 次に渋谷区臨川小学校、特別支援学級の渡辺克哉さんから、「子どもだって悩んでいる!~子どもの思いをどう受け止めるか~」という報告を受けました。渡辺さんがかかわった子どもの例をたくさんだして、子どもが何を訴えているかを分析していただきました。「問題行動」とみるのは、教師の側からみた言葉であって、子どもの側から言えば「やむを得ずやっていること」なのです。言葉としてあらわれていることとは違うのです。失敗したくない、やらないということは「ダメな自分をみせたくない」ということです。高度自閉症の子どもがいました。新しいことはやらない、やりたくないのにやっちゃう、自分をコントロールできない、などという状況がありますが、わかってくれないみんなにイライラしたり、できない自分を責めたりしているのです。渡辺さんは、子どもたちと徹底的につきあい、温かいまなざしで子どもたちとともにくらしています。そんな報告でした。渡辺さんの報告に対して「通常学級でも、同じことがある」と教師の眼差しが大事だという発言もありました。

 最後にコメンテーターの宮城哲さんから「まとめ」がありました。特別支援学級と通常学級はつながっています。坂本忠芳さんが発達心理学者「ワロンの言葉」をひいて、障害をもった子どもはゆっくり発達している。通常では見えないが、スローモーションにしている」といわれています。成長・発達がみえているというのです。