第14回集会


1月26日に「学びをつくる会」の第14回集会がおこなわれました。その報告です。

 今回の集会は「生きていくことが喜びととなる学びを拓く」をテーマにかかげました。ワーキングプア、ニートなどという言葉が転がり、「学び」を「生きる喜び」につなげられるものにしていこう、ということでのテーマ設定です。参加者は80名あまりで熱気のある会がもてたと思います。広がりを感じています。

 中教審が「学習指導要領について」の考えを発表し、教育基本法の改悪の路線遂行にすすむ状況の中での集会でした。開会に先立ち、世話人を代表して岩辺泰吏さんから、とても「熱のこもった」あいさつがありました。そこから紹介します。

開会のあいさつ 岩辺泰吏

 

今日から杉並の和田中で塾による補習授業がはじまります。杉並なく、足立でやってほしいと思います。公教育の放棄です。学習指導要領の破綻です。教育の理想を放棄してしまったと言ってもいいでしょう。学校は何のためにあるのか、競争をあおるものです。子どもは大人の目標達成の手段ではありません。子ども自身の人生を豊かにするものです。自分らしく生きるためにあるのです。

 PISAの調査で科学的応用力が6位になったというのです。6000人の抽出調査でしかないPISAの調査を根拠に全国一斉の全員の学力テストをすること自体が問題です。教育再生会議→中教審→学習指導要領という流れをつくっています。この中では、授業時数の増加がとりざたされ、量的な増加をおこない、そのための教員管理をおこなおうとしています。40年前、私が教師になったころ、子どもたちの理解の状況は「山型」になっていて、底辺の子どもたちを底上げすることで、全体をひきあげる、という方向でした。それが今、子どもたちの理解の状況は「ふたこぶらくだ」型になっていて、さらに、これが下が大きい「ひょうたん型」になっています。意欲が低い、無回答率が高い、という状況です。なぜ?に答えない、のです。これは子どももおとなも同じです。職員会議でも発言しない、という状況です。24日に文部科学省が「子どもたちの生活のようす」のまとめを発表しました。授業中に私語が少ない、教師が熱意をもってやっているところの学力が高い、国語で書く力、文章を読むことを重視しているところが学力が高い、と言っています。

 日本の学校は、授業への参加が少ない、という分析もあります。①実験をする、②意見を言う、③生活と結びついている、ということが少なくなっています。東京新聞では、

①現場の裁量がある、②教育の質の高さ、③教育費の無償、④手厚い学習支援、これが必要だと書いています。先日、鹿児島の垂水市の中学で授業をしてきました。1・2年で合計12名という小さな中学でした。真剣に聞いてくれました。おわりに生徒会長の女子があいさつしました。校長室で伺うと「何も話さない子だったが、一人ひとりがみんな何かやらなければならないという状況の中で変わってきた」と話していました。

 学力キャンペーンの中で、落ち研の久保齋氏が書いています。「一斉授業の復権」で「国語の授業は『君の意見を聞いているのではない。筆者の意見を聞いているのだ』」「休み時間のトラブルを授業時間までひきずっていないか。授業時間がはじまったら、休み時間のトラブルはすっぱり切って、授業時間にはいることだ。授業時間をきりつめてはならない」というのです。こんなことではだめです。

 メッセージのない教師は子どもの前に立つ資格はありません。支え合いながら、小さな輪をつないでいきましょう。希望は私自身の中にあります。「夢・希望・力」と繋げていきましょう。夢は信頼と期待の中にあります。



講演:「寄り添うこと・育てること
~共感と希望を拓く学び~」
山崎隆夫(東京・小学校)

 霜柱のまじった泥で泥だんごをつくって遊びました。教室に帰って詩を書きました。「霜柱、ザックザックサクサクサク ふみたいな」と書いた子の詩を読みました。すると「先生、読み方が違う」と言うのです。「霜柱、ザ~ック、ザ~ック サク サク サク」と。<節をつけて歌うように・・・山崎さんは「朗読」?しました。この感覚を伝えられないのは残念です。記録者注> 子どもの内側から表現したい気持ちがあります。そういうふうにしていきたいと思います。

 私の子ども時代のことを詩にしました。

 

 

     雨とぶらんこ                      1996.7.14

  のきさきのはりだした横木から 綱を巻いて

  ぶらんこをつくったのはおじいちゃんだ

  南京袋を折りたたんですわる。

  ぼくとみちるとたかしと まさやがじゅんにのった

  のきさきのはりだした屋根に はちの巣の穴がみえる。

  ふしのあるあらびきの板が魔術のような渦をまいて

  流れていて

  それが ぶらんこからみていると 近づいたり遠のいたりする

  ぼくの横で 雨が 音をたてる

  庭はたまごが流れたように 黄色くぬれて光る

  土壁が左にあって 雨はぼくらの右手でふる 

  庭のむこうに小さな道があり 田があり 竹やぶがあり

  もうそこからは山の入り口となっている

  小さな子どもたちの雨の七月

  大人たちはどこに消えたのだろう

  ぶらんこがゆれる

  紫色の小さな音をたててゆれる

  赤さびたトタンとわらぶきやねの家に

  あざやかな白い服の花びら 雨がふる

  山も村も田も道もみな七月の雨の中だ

 

 こんな子ども時代を送りました。山羊と遊ぶのが大好きでした。オスの山羊は動物やさんがつれていってしまいます。肉にするためです。山羊の目は「乳をしぼってほしい」「草がほしい」などと訴えています。

 今、正月から子どもたちを「こま」で夢中にさせています。学級通信にも書いておうちの人にこまを買ってもらうようにしました。子どもといっしょに「こままわし」をして遊んでいます。休み時間にやっていて、おととい勝ちました。子どものようにうれしかったです。子どもと共感できます。子どもといっしょに遊ぶことで、傷ついた子どもの心が開いていきます。今、子どもは感情のコントロールができすぎているように思います。保育園のおむかえがきて「まだ遊びたい」という子の方が子どもらしいのではないでしょうか。学校でも図書室や屋上につれて行く時「ちょっと待って」と途中でストップをかける子がいます。何気ない日々の中に、なつかしさがわいてきます。公立や競争のレッテルをはって「自分には価値がないのだ」と思わせてはいけないと思います。親もレッテルをはりながら自分の子どもたちを育てています。

 お昼休みにドッチボールをしました(1/21)雪がふった(1/24)こういうのが好きです。共感を大事にすることです。

 若い先生と勉強会をしています。自ら水やりをおこたっておいて、子どものことを嘆いていませんか。日記を通して、子どもたちを変えていくことを若い先生から教わっています。

  月のかたちの授業をしました。見たことのある月の形を黒板にでてきて書きました。輝くんが耳元で「しんげつを書いてもいい?」と聞きました。黒板に………の○が描かれました。「どんな字を書くんだろうね」という問いに「新月、進月、真月、神月」などがでました。「寝る月もあるんじゃない?」という子。「寝月」もでました。

 三日月の勉強です。朝の校庭にでて、「ボールを持ってぐるっと回りながら、太陽の光の当たるボールをみてごらん」と言いました。「わかんない」という子。ある子が「うでを伸ばして早く回ると月の形の変化がすごくよくわかるよ」という子がいました。「アッ、ホントだ」

 ドッチボールで、突き指をして、養護教諭が接骨院に連れて行きました。放課後、その子といっしょに家にあやまりに行きました。ふたりでならんで歩きました。夕暮れの空に月と金星と火星がみえました。月をみながら話をして歩きました。「先生、ほら月がでているでしょ」。おかあさんはまだ家に戻っていませんでした。次の日、おかあさんから手紙をいただきました。「先生といっしょに月をみた思い出はきっ心に大きなものになると思います」と書いてくださいました。私は父を小学校5年生の時に亡くしました。母との思い出はとても貴重です。心のひだにはいるような幸せな実感があります。

 これは小学校だけではありません。川崎の小学校を卒業した子のことです。小学校の時はあまり楽しいことがなかった子ですが「中学校に行ったら、高飛びを教えてくれた」「美術の先生が『植物がコンクールに絵をだしてみないか』といわれた」というのです。自信が出て来ました。出会ったほんの一瞬で、子どもたちを支えるものがあります。

 宮澤章二さんという詩人の詩「はるをつまんで」の授業をしました。「  をつまんで」と板書しました。子どもたちの発言や考えによって授業は深まります。いっぱいでてきます。えんぴつ・ゴム・チョーク・花・ねこのしっぽ・かみの毛・・・・「素敵だね。ところで宮沢章二さんの詩は“はるをつまんで”です。はるをつまむってどんな感じ?」「春をつれてくるみたい」「たんぽぽ」「さくら」黒板に詩を写し終わってから「はるをつまんで/とばしたら/しろいちょうちょになりました」みんなで読んで読み終わった時、小さな箱をとりだして「この中にみんなにあげる大切なプレゼントを入れてきました」と言って箱からとりだすと「黄色いちょうちょ」を子どもたちに渡します。(山崎さんは参加者にうすい透き通った『さくら紙』を切り抜いたチョウをプレゼントしました。記録者注)教室では、下敷きでこのチョウチョをあおいで飛ばす子などがいて、教室中にチョウが舞います。

 「よい子」や数字に表れるような“成果”ばかりが求められる時代です。子どもたちが生きることに幸せを感じているでしょうか。子どもたちは「大人たちの百倍も」未来を内包しています。だが子どもたちは、今孤立し、一度道を踏み外したら底なし沼に落ちていくような“不安や危機”の感情を抱えているのではないでしょうか。そんな生き方を余儀なくされていると思います。子どもたちの生きる日々が流される涙を含めて幸福であるなら、子どもたちは自分や他者、社会や時代を信じて、厚みをもった深い彩りのある人間として育つよう一歩を踏み出していくでしょう。共に歩む教師でありたい。学校や教室で生きる何気ない日々の中に、子どもたちの幸せを刻んであげたい。

 1950年代からの高度経済成長がものを大切にしない、という風潮を広げました。人格力・復元力などといいますが、もろさをつなげる努力をしたいと思います。外からのストレスを内部で回復できる力が必要です。今、自分の力では対処できないストレスが広がっています。

 小山台小学校から矢口西小に移って、違う星に降り立ったような感覚になりました。並べ、といってもケンカばかり。給食の時間もとても騒がしい。授業中でもケンカ。言葉がなかなか通じません。発言をきかない。制止していても他では騒いでいる。やっていけるか、と思いました。安心してしゃべれないことからストレスがたまっていきます。管理と統制でやっていた学校でした。体育の授業でなかなか校庭に出てこないので見に行くと、着がえしながら遊んでいます。このクラスには虐待をうけた少年、暴力的な少年、アスペルガー的な子、障害の重い子もいました。

 いやなことをされるとロッカーにはいってしまう子がいました。つばをたらして遊んでいます。給食のパンかごの中のパンにつばをたらしてしまったこともあります。子どもたちの多くは我関せずで無関心でした。教室ノートをつくって子どもたちを分析しました。しかったりするだけではイライラがつのるばかりです。あそびをいれたり、本を読んだりしていきました。成果主義・能力主義の中で、クラスで笑ったり、支え合うことができたらいいと思います。教室がホッとできる場でありたいです。

 子どもたちが愛されていない、大事にされていません。子ども一人ひとりをききとっていくとです。子どもと子どもをつないでいくことです。アスペルガーの子がいました。他の子たちが放置状態になります。他の子たちも先生に愛されたいし、俺たちの思いをきいてほしいのです。学級会では、まわりの子たちがアスペルガーの子に要求をだします。やったこともきちんといい、どう思ったかを伝えるのです。そうすることによって、子どもたちの関係が変わっていきます。

 事件がおきました。自分でうちの人にいう、ということで帰しました。お母さんが次の日にやってきて話しました。母親は夫の暴力をうけていました。子どもは父親の言うことをそのまま言います。

  学びの中でホッとすることがあります。「スーホの白い馬」の授業です。スーホが王の追っ手をふりきろうと必死に「それでも白馬は走り続けました」という記述があります。そのなかで「殿様消えろ」と発言した子がいます。「一番悪いのは殿様」だと言いました。ストレスが多い中で、人間的な命を復興させることが大切です。一場面一場面で子どもをききとっていくことが大事です。子どもが人間的に大切にされたという思いの中で。             <記録・大谷猛夫>

 

コメント 佐貫浩(法政大学)

 

 山崎実践を理論化というのはとても難しいことです。今「生きる力」としてコミュニケーション力などと言っています。山崎実践のコミュニケーションは言葉の背後にあるもの、目線と目線で語るものなどを見据えています。母と子の間で言葉を獲得していく時に似ています。伝えたいものかいっぱいあります。それと同じものが教室にあるのです。新学習指導要領は「生きる力」として応用力・活用力・コミュニケーション力などといっいますが、それ以前の子どもどおしのつながりがなければなりません。人間が生きる力を獲得するのは、生きられない空間で生きていて、かかえている問題をいっしょになって考えていくことでついていきます。そこで生きようとしている中で学ぶことが生きる力を獲得していくのです。

  将来が新自由主義の空間で見通しがない、希望がもてない、という状況におかれていて、今生きている空間が自己責任でくくられたり、他者に同調していくことできりぬけようとしている現実があります。攻撃をうけないように、勝ち組になることを夢見てすごします。そうではなくて、他の人が支えてくれるという実感をもって受け止められたり、共感を生み出すコミュニケーションをつくっていくことです。

 新自由主義に対抗するには、表現を人間的な表現に組み替えることです。授業の空間が生きる空間になっていることです。生活のテーマを授業にとりいれることです。スーホの白い馬の授業でも、子どもが生きている中で、自ずとでてくる意見を大切にし、違う自分の発見もあるかもしれません。共感出来る友だちがいることも確認できます。安心して生きていていいんだというヒューマンな感情が受け入れられていきます。文学のフィクションの世界が自分の中にはいっていきます。自分の中の自分の発見、共感できる他者の存在、そして新しい自分を再構築していくのです。生きることと授業が結びついていきます。<記録・大谷猛夫>

 


分科会


第1分科会 学力と学び 
~授業でひらく子どもの世界~
 

「安心して声を発し、ともにゆたかになる授業をめざして」 

教師になって16年目の島田晶子先生が初めて担任する1年生。私立小学校のため、“お受験”をくぐりぬけた6歳の子どもたち。子どもたちが互いに言葉を交わしあい、複雑に、豊かに絡み合うくもの巣のような関係をつくろうと試みた実践をお話していただいた。

まず初めに、競争と評価のまなざしにさらされている子どもたちについて。同じことを3回確認する子、周りの子の値踏みをしながら虚勢を張っている子、教師の話を常に

先回りしてしゃべる子など・・・

次に、親の問題も。子育ては自分の“成績”、勝ち組からの”転落“は許されない母親たち。日記の宿題を下書きさせ、清書させてから提出させる親、習って間もないのに「『ぼくわ・・・』と書いていたのがショックでした」、と連絡帳に書いてくる親など・・・

授業については、2年生の「かけざん宅急便」の実践を丁寧に伝えてくださった。

魔女からのハロウィンのプレゼントを教室に届ける。中に手紙を仕込んでおき、「全部の数はいくつでしょう。質問には一つだけ答えます。」と書いてある。1つ目の箱と2つ目の箱は、1箱に同じ数のお菓子が入っているものにし、3つの箱には箱によってバラバラの数のお菓子が入っている。子どもたちは討論をする中で、たしざんと、かけざんの違いを実感していく。

授業や日常のさまざまな実践の中で、子ども同士が言葉を交わす場面をたくさんつくったり、体が触れ合うことを意識したりと、「つながりあう安心と楽しさを味わえる実践」を報告していただきました。

コメンテーターの増島先生は、学習指導要領改訂の中間まとめに見る問題点を指摘し、「今までの実践をもう一度ふりかえること」、「スパイラル学習を逆手にとって、子どもを追い込まないこと」など島田先生の実践につなげてまとめていただきました。

参加した方からは、子ども同士がつながり合うことの大切さや、毎日のささやかな実践を積み重ねていくことの大切さを感じた、子どもらしさを大切にしたクラスづくりをしたいなど感想をいただきました。                        文責・坂井ゆりか

 


第2分科会 教師 
~教師の挫折と再生Ⅶ・教師を生きる~
 

「教師の挫折と再生」を語りあう分科会も7回目を迎えた今回は、一歩踏み出す方向性を探ろうと、「教師を生きる」がテーマである。若手の山口さんとベテランの天水さんが、子どもや保護者とのエピソードを報告され、教師の生き方を考えあった。

山口さんは、通級指導学級で出会った「なっちゃん」とのかかわりを、保護者との関係のなかで丁寧に育んでいった経過について話された。なっちゃんの精一杯さや緊張を場面ごとに細やかに捉えてゆくなかで、やがて手紙での交流がはじまり、なっちゃんの「叫び」を聴くときまでの経過を話された。それは、保護者との関係を深化させるべきときでもあり、保護者からも率直な悩みが出されていくことになる。そのやりとりのなかで、保護者に「孤独すぎる苦悩」を感じ取ったり、保護者を傷つけてしまったことに反省したりしながら、子どもの現実に向きあってお互いをさらけ出すことの厳しさを感じられていた。子どものそばにいるだけという「教師のかかわれることの限り」ゆえに、そのことに奮闘していたいという言葉、「教師の中の『わたし』の部分」を大事にしている姿が印象的だった。

報告を受けて、困難を抱えた子どもの実態を、保護者の願いとの間にどう捉え、何が望ましいかをどのように探っていけるかといったことが話された。

天水さんは、退職後、悩みながらも再任用で職場に残ることを決められ、引き続き担任をもたれている。支えられているものは「作文・子ども・仲間」だとのことで、子どもの声やサークルの仲間の声、そして保護者の声にあふれた報告だった。サークルでの学びが今子どもとやっていることに結びついているという実感があるという天水さんは、教員になったときから作文と日記を続けてきており、それを教室で読みあっている。紹介された作品からは、夢中で生き生きした子どもたちの姿と声が浮かんできた。この作品は、学級通信にのせて家庭に届けられるし、家庭からの声も学級通信にのっており、たくさんの声に満ちた実践が展開していることが伝わってきた。子どもたちの群読やパネルシアター、歌の録音の声も紹介された。

これを受けて、辞めないでどのように続けていくか、何を大事にするか、子どもに支えられるということ、学級通信の大事さなどが話された。

コメンテーターの佐藤隆さんから、報告について、学びは人と人を結びつけ、人を肯定するものであることが体現されているのではないか、また、反省的に実践し、葛藤しながらも共同するという教師の新しいスタイルが見えるのではないかとコメントがあった。                                   (文責・大日方真史)

 

 

 

 

第3分科会 総合的な学び 
~学ぶことと生きることを結ぶ~
 

第3分科会の参加者は報告者を含めて15名、うち学生3人でした。

 1本目の報告

「2008年度版 ハンバーガーの授業」本山明(東京・中学校)

 -ハンバーガーから世界が見える-

 本山さんが実際に中学校でされた授業と同じように「ハンバーガークイズ」20問について参加者が答え、裏付けとなる資料を基に解説する形で報告がなされていった。例えば、第7問目「日本マクドナルドの創始者・藤田田氏の持論『  歳までに食べていたものは死ぬまで食べる』  の中に入る数字は?」第12問目「マクドナルドの店員さんは『ポテトはいかがですか』『シェイクはいかがですか』『バリューセットはいかがですか』となぜ言うのか。」などなど食べ物は世界を考える入り口になるという思いで、ハンバーガーの授業は組み立てられていた。

これに対してコメンテーターの岩川先生「頂いた資料は刺激的。いろいろな可能性がつまっている。事実を巡る問いの中から価値を巡る問いがどう浮かび上がってくるのか、可能性をさぐっていけると面白い。波紋が生まれてエ~ッというところから何が生まれてくるのか、持続する問いを持ったことで、個人としても市民としても成熟していける。(後略)」

 2本目の報告

「アジールという公教育~教師を育てる「学校」をめざして」高橋幸恵(学房アジール)

学房アジールを運営しておられる高橋さんから、パンフレットや高橋さんご自身が書いておられるブログの抜粋などを通し、現在実際にやっておられること(公教育の足りないところを引き取って、一対一の関係でやっていく場としてのアジールの話)、将来的にやってみたいこと(小学校教諭養成の学校づくり)現在接する人たちが引き起こすいろいろな現象などを短い時間の中で、盛り沢山に話して頂きました。

討論では、話された内容があまりにも多岐にわたっていることもあり、何を議論するのかという戸惑いも率直な疑問として出されました。

コメンテーターの岩川先生は、ご自身の院生時代の話なども交え、対等なコミュニティの有効性を話された。また、悶々としてどう生きたらいいか分らない人に、ノウハウや何かを教えることに意味がないとは言わないが、それぞれの置かれた状況の中でどう生きるのか、自分の悩み、自分の苦しみを自分が引き受けて自分が生きてみる、そういうあなたとともにいるという姿勢こそがサポートする側には必要だろうとも。      (文責・荻野佳津子)

 

 

第4分科会 子ども理解 
~子どもの思いを受けとめる~

  「学級だよりでつながりあって」というタイトルで発表した教員2年目の大森先生は、現在持ち上がりで2年生を担任しています。学級通信は初めて担任した1年生の時から出しているそうです。通信には日常生活の中にある子どもたちのありのままの姿が書かれています。「自分の思いを伝えたい」という気持ちを大切にして、授業中の子どもたちの様子を綴った手書きの通信は、まさに大森先生の熱意と愛情の表れです。綴られている子どもたちの言葉を通じて、子どもに対する見方が広がっていった様子を表情豊かに生き生きと語る大森先生の姿に「きっと子どもたちに対してもこんな風に生き生きと自分を表現しているんだろうな」と思ったのは私だけではなかったでしょう。

  「子どもを受け止め、寄り添いながら・・学級づくり」という実践報告をしていただいた浅野えり子さん(東京・小学校)は、明るくて、とても元気な「おかあさん先生」というのが、第一印象。一人ひとりとの「つながり」を大切にしようとしている気持ちがお話からよく伝わってきました。『できねぇよ。』が口ぐせの男の子と二人きりで倒立の練習をし、運動会当日に成功した子どもの姿に満足した話。『学校も先生も大嫌いです』と宣言された保護者と時間をかけて関わり、少しずつイイ変化がみられるようになった話など、どの話も「じっくり関わる」という姿勢が感じられるものでした。「時には落ち込み、自己嫌悪になりながらも自分が枚拉致子どもたちに向き合うことができるのは、職員室の同僚が話しをきいてくれるから、自分は周りの人に支えられて仕事を続けられる」と浅野先生はおっしゃっていました。子どもだけでなく、親も「つながり」を求めている、その根底にある親の不安感をしっかりと受け止め、じっくりと聞き取っていくことで、つながりのきっかけができ、子どもと親と教師の「共通の価値や願い」が作られていくのていくのではないかと思いました。

 ベテランの先生方だけでなく、学生の方からも意見が出され、とても有意義な3時間でした。     (文責・石井広昭)