第1回集会・210名の熱気で・・・ 全体会は講演・今泉博さん 4つの分科会も |
「学びをつくる会」第1回集会は6月9日(日)午後、東京豊島区で開かれました。開会時刻にはもう会場いっぱいの参加者でうめつくされました。全体会はうしろでたって参加する人がでるという状況でした。熱心な参加者は分科会の終了まで「学びをつくる」ことを考えていこうという熱気につつまれていました。 |
集会は菊地良輔さんの「はじめのことば」ではじまりました。 |
授業報告・豊かな学びをどうつくるか・講師・今泉博さん すぐに全体講演にうつりました。「豊かな学びをどうつくるか」というテーマで今泉博さん(練馬区光が丘三小)を講師にお話をいただきました。 |
今泉さんは、まず子どもの現状から説きおこします。さまざまな子どもたちがいるということをしっかりみます。なかなか人と交われない子がいたり、読書に没頭している子もいます。しかし、そんな中で、子どもたちは関わりを求めています。子どもたちは本質的な「問い」を抱いています。なんのために勉強するのか、なんのために生きるのか、などです。今「生きる」ことと「学ぶこと」が乖離している状況ではないでしょうか。「学び一般からの逃避」ではなくて「勉強からの逃避」という状態です。 ここから授業の実践を具体的に話されました。基礎的・基本的なことをどう豊かに学んでいくかということです。「正答主義の学習」ではなく、その過程を大事にする「プロセスのある学習」です。子どもたちのあいだに対立や討論をおこし、想像力をはたらかせ、推理をすすめていくみんなで共同して学んでいくことが必要です。教科学習の中にももっと総合的な視点を取り入れていくことです。 授業は教材が勝負だと思っていましたが、それにプラスアルファがあります。教室の雰囲気です。自由になんでもものが言えることが必要です。間違っても安心。その間違いからまた深い学習がうまれていく、と考えることです。知的好奇心に充ちた楽しさこそが授業の中でもつくられなければなりません。子どもたちが自分たちの知恵で世界を広げていくと思います。 現場の困難も毎日の実践の中で、子どもたちの小さな変化・喜びを子どもたちと共有していくことで解決へとすすんでいけるはずです。 |
学びをつくる会の趣旨について
つづいて事務局担当の本山明さんから「会」がつくられた趣旨についての説明がありました。 |
分科会
第一分科会「教科を深く豊かに」 世話人から参加者に「この分科会に何を期待しますか?」問いかけることからスタート。“基礎・基本というけれど、何を大切にしてよいか・・”“今の子ども達にドリル訓練でいいのか、ちがう切り口が欲しい”“現場の先生達の生の声を聞きにきた・・”etc (1)「だれもがのってくる算数」 市川良(練馬区立光が丘六小)
今年は4年担任。復習ばかりのスタートに「去年やった!」と子どもの声。それではと手品で再スタート。レベルダウンした教科書の下で“君はすてきなデザイナー”と題してコンパスだけで絵を描くと子ども達の作品――「夜の観覧車」「上から見たパラシュート」etcが並ぶ。わり算の復習は、白い紙2枚用意し子ども達が問題をつくり、10分間で友達の作った問題に何問解けるか挑戦。ドリル式だけれど、子どものぬくもりを感じさせる授業が展開されていく。 |
(2)「わくわくどきどきをだきしめて探偵団で社会・総合」 佐藤広也(札幌市立三角山小学校)
4年生の総合は、ゴミ・水そしてニホンザリガニの探求と続き、アイヌ文化を学びつつ「食」をつないで三角山祭りへ・・・。三角山の不法投棄現場に行って「なぜこんなものが?」「どうわける?」「これからどうなるの?」と環境局や地域の人達にマイクを向ける子ども達。子ども達は、この社会がどうなっていくのかを問うているのである。そうした眼は廃液で死滅していく“ニホンザリガニ”にも注がれていく。 |
(まとめ・田所恭介) |
この分科会への参加者は27名。世話人・研究者を除けば、教職をめざす学生や、文化学習センターのスタッフ、そして現職の教師を含めて、若い人たちが多かった。
第一の報告は「世田谷教育センターほっとスクール城山」の高宮淑さんによる「学校に行けなくなった子どもたちの学力保障」。 |
「居場所」の原型は、学校の息苦しさから逃れた子ども・青年たちのためにもうけられた空間である。そこには「確実に応答(リスポンス)がある安心感」があるという。 ここの「学習センター」では「“なぜ学ぶか”を学ぶ」ことを学習意欲の源泉と考えている。そして「学習の方法」の原則は「協同化」と「なすことによって学ぶ」こと。 だから、自分と時代とを関わらせて現代的な課題に挑む「テーマ学習」が必要となる。さらに「米づくり」や「ベトナム異文化体験」など、壮大な「体験学習」やヘルパーの資格が取れる「講座」など実生活に直結する「学び」が展開される。若いスタッフたちも、実践を語って佐藤さんの話を補ってくれた。 |
子ども・青年の・現代を生きる困難やしんどさに共感を深めるほどに、求められている「学び」のあり方が見えてくる思いがする。 (まとめ・菊地良輔) |
「総合に対して、単なる批判におわらせないで、子どもにとって意味のある取り組みにしていきたい」と、佐藤博さんの司会ではじまった本分科会には、約30人の参加があった。小学・中学・高校の教員以外には、学生・院生の参加が多かった。 |
もうひとつは「全校でとりくむテーマ別研究」本山明(葛飾区立本田中)だった。 |
限られた時間ではあったが、二つの報告に対して、公立・私立の教員双方から、活発な議論が展開された。 (1)総合学習は、学校の中という枠を越えて展開されはじめているものである。たとえば、「従来の学び」に違和感を感じた文教関係の町会議員14名が和光小に視察にきたり、多摩川の総合学習を通して、河口付近の地域・穴子漁師との交流がはじまったり、上流では森林会という組織がつくられ、「巨樹巨木マップづくり」を通した交流が始まっている。あるいはグリーンツーリズムで自然と結びつきながらまちづくりをおこしたいと思っている自治体とは、子どもたちのホームスティを通した交流がはじまったりしている。
(2)「批判的な知」を育てる視点が必要 (3)中学校における総合では、テーマ設定自身が大切になってくること。 (まとめ・荒井文昭) |
「『荒れる』『キレる』『心を閉ざす』子どもたちと学びをつくる」というテーマで品川の山崎先生から報告された。 |
山崎先生は、数年前に荒れた子ども達をもった経験を通し、今の子ども達が、人間として愛されていないこと、自分の内面をつくり出すのに子ども達はとても苦労していること、キレるというのは、つながりを求めているからではないかと分析された。また問題の多い5年生を持つようにいわれた時、正直いやだなぁと思ったこと、そして始業式の日、駅の階段を下り立った時、身体に震えがきたほどたったとのこと。 |
続いて、町田の宮下先生が中学校の立場から追加報告的な発言があった。 教師をやっていけないと思う時は、子どもの感情を操作しなくてはいけないと思ったり、子どもがキレて、力づくで従わせようとする時。反対にまんざらでもないと思える時は、子どもの成長した姿やかわいらしさを感じたり、否定的な言動の裏に内面がみえた時であると。 その後、参加者から、自分の問題意識やかかえている困難について、自由に意見をだしあった。参加者も母親、学生、研究者、そして教員も若い人や他県からなど、広範な層からの参加者だった。 (まとめ・原田賢一) |
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